詰パラ1984年8月号。
私がパラと出会ったのはこの前年です。

当時の私は真面目な解答者をしており、
解けた作品には片端から作意を書き込んでおりました。

だから、この頃の詰パラは、
その古さ以上に、ぼろぼろになっています。

その最後のページに、次の作品が出題されています。

詰研会報百号記念曲詰 出題 森田銀杏



入選回数はカウントされていません。

初形ですでに王手がかかっていて、
玉方の手からスタートする作品だからでしょうか。

(玉方の手から)55玉、54と、56玉、57飛左、同と、
55と、同玉、45飛、56玉、46飛、55玉、56香、同と、45飛、54玉、
64角成、同玉、53桂成、66と、54成桂、同玉、66桂、53玉、43歩成、同香、
同飛成、同銀、56香、42玉、43香成、31玉、41角成、21玉、32馬、11玉、
12歩、同玉、23銀、13玉、14銀成、12玉、23成銀、11玉、22成銀
まで44手詰

今考えてみれば、
玉方の手からというのは、
作者にとっては、形を纏める為の
苦しい選択だったのでしょう。

しかし、はじめてこの作品を目にしたときには、
これほど巨大な初形曲詰を見たことがなかったということもあり、
極めて新鮮な趣向だと感じました。

この「百」の出題がきっかけで、私は「詰研会報」を購読し始めました。
森田さんとのおつきあいも、このころからです。
「詰研会報」には「詰将棋クリニック」という、
新作を相互検討するというコーナーがあり、
まだ検討の何たるやを知らない私にとっては、
そこはまさしく渡りに船でした。

私は数多くの不完全作をクリニックに投稿・発表し、
創作のなんたるやを徐々に身に付けて、現在に至ったのだと思います。

さて、毎年、森田さんからいただく年賀状には、
たいてい「年賀曲詰」が載っていました。

それは、森田さんの「百」によって、
さらに詰将棋にハマっていった私にとっては、
ひとつの目標であり、
気がついたら自分でもこの方面にチャレンジしておりました。

大会で森田さんにご挨拶した際などにも、
私の年賀曲詰について、出来が良ければお褒めをいただき、
そうでなければ、「今年は私のほうがいい」などと、
森田さんのほうも、ほんのちょっと意識されていた?ようです。

その詰将棋クリニックが300回を迎えて、
「記念作品を歓迎!」との詰研会報が届いたのが、3月24日でした。

森田さんが詰将棋を創り、詰研会報を創り、クリニックを創り、
そのおかげで、詰将棋作家としての今の私があるわけで、
これに応じて記念作品を作り、
投稿したのが4月2日でした。

それからひと月ちょっと後に、旅立たれるとは・・・

これは、非常に個人的な想いになってしまうわけで恐縮ですが、
詰将棋作家の私にとって一番残念なのは、
この作品の感想をいただきたかったということです。

「詰将棋クリニック300回記念作品」 山田康平 作



(詰将棋パラダイス2003年8月号)
(図をクリックすると動く将棋盤で鑑賞できます)

13桂成、同玉、46馬、35歩、同馬、12玉、13馬、同玉、
15龍、14金、同龍、同玉、25金、13玉、24金、12玉、
13歩、21玉、22歩成、同玉、23金、31玉、41桂成、同龍、
64馬、42桂、同馬、同龍、同香成、同玉、43飛、51玉、
53飛成、52角、43桂、61玉、72銀成、同玉、64桂、81玉、
83龍、82銀上、72桂成、91玉、82成桂、同銀、92銀、
まで47手詰

私はこれからも、森田さんの曲詰を、一つの目標として、
精進していきたいと思います。

慎んでご冥福をお祈りいたします。